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アルザス・ロレーヌ地方とガラス工房

ドイツの国境近のフランス北東部に位置するアルザス・ロレーヌ地方は、古くから手工業が発達しており、この地域は森林資源や鉱山資源に恵まれたいたため、ガラスの主要な原料となる珪砂(けいさ)や薪を入手することができた。
フランスで初めてクリスタルの製造行ったことで有名なサン・ルイ社はロレーヌ地方に工場を構える代表的なメーカーの一つである。19世紀から20世紀にはエミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリックなどのガラス工芸家たちも、アルザス・ロレーヌ地方に自社の工房やアトリエを構えた。

ドイツ領時代(1871~1918 年)のアルザス=ロレーヌ地方の地図
ドイツ領時代(1871~1918年)のアルザス=ロレーヌ地方の地図
アルザス=ロレーヌは、フランス共和国北東部のドイツ国境に近いアルザス地域圏(エルザス)とロレーヌ地域圏(ロートリンゲン)のうちモゼル県を合わせた地域。
鉄鉱石と石炭を産出するため、しばしばフランスとドイツとの間で係争地となった。
第二次世界大戦以降はフランス領となったが、中心都市のストラスブールには、欧州の主要な国際機関が多く設置され、欧州統合の象徴的な地域となっている。


 

ガレとドームの主なガラス技法

  • 被せガラス
    ある程度成型したガラス器の上に、部分的あるいは全体的に一層または多層にわたって異なる色のガラスを被せる方法。被せた後、手彫りまたはエッチングでグラヴュールを施すと、素地の色と被せガラスの色が混在する絶妙なもようが浮かびあがる。彫刻の深浅によっては一層でも色調の変化を出すことができる。
  • アンテルカレール
    透明ガラスの層の間に色ガラスでつくった文様を挟み込み、表層に彫刻を施し文様が重なり合って見えるようにする技法。ドームが特許を取得した技法であるが、ガレの作品にも同様の表現が見られる。
  • ヴィトリフィカシオン
    吹竿でガラス種をある程度吹いたものを、粉末にした色ガラスにまぶし、再び炉の中にいれ素地に馴染ませる技法。この技法によると、被せガラスのような複雑なプロセスを経なくても、微妙な色彩の斑紋を表現することができる。この技法は主としてドーム兄弟などによって多用された。
  • 金属箔挟み込み
    ガラス層の間に金、銀、プラチナ箔などの細片を挟み込み、キラキラと輝く文様をつくる技法。
  • エッチング
    沸化水素と硫酸の混合液でガラスを腐蝕させ文様を彫り出す技法。ガラスの表面を瀝青やパラフィンなどの保護膜でおおった後、文様部分の被膜をのこして酸にひたすと腐蝕され文様ができる。これがアシッドによるカメオ彫りである。ガラス表面に落ち着きのある艶消しを施す場合にもこの技法が使われる。
  • カボション
    ガラスの表面に半球状の丸みを持った色ガラスの小塊を熔着する技法。宝石のカボションカットに似ていることからこう呼ばれる。金、銀箔等を挟み込むことも多く、装飾のアクセントとして有効な技法。
  • グラヴュール
    ガラス表面を研削して、文様や文字を彫刻する技法。さまざまな大きさの銅や砥石の円盤を回転させて、ガラスを凹刻。アール・ヌーヴォーのガラス器では、模様をレリーフ状に彫り出すためなどに使われている。
  • アプリカシオン
    ガラスがまだ赤く熱いうちに熔けたガラスを部分的に熔着(貼付)する技法。アール・ヌーヴォー期の作品では、この熔着部分を冷ました後、花。昆虫、カタツムリなどの形に彫刻している場合が多く、特にガレの「フランスのバラ」と呼ぶバラの花のアップリケは有名。
  • マルケトリー
    あらかじめ色ガラスの薄片で模様につくりたい形をつくっておき、またガラス素地表面が熔けているうちに所定の場所に熔着する技法。着けたい場所に自由に色ガラス層をつけることができるため、多色の文様を表現できるが、技法的にはかなり難しく制作途中での破損も多い。ガレはこれを家具の寄せ木細工からヒントを得て創り出し、特許を取得。
  • エナメル彩
    低融点の色ガラスを砕いて顔料をつくり、これに油や松脂で練ってガラス表面に彩画、焼き付ける技法。顔料のガラスが熔けると素地もわずかに熔け、剥落や変色しない絵付けができる。

 

アール・ヌーヴォーについて

アール・ヌーヴォーは(Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初めにかけて、都市化と産業化を背景に、フランスとベルギーを中心に広まった国際的な芸術運動・様式。仏語で「新しい芸術」を意味する。

「アール・ヌーヴォー」という言葉は、1894年にベルギーの雑誌L‘Art modern(現代美術)においてアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドの芸術作品を形容する言葉としてエドモン・ピカールが初めて用いた。この言葉がフランスに伝わりパリの美術商であったジークフリート・ビングが装飾芸術ギャラリーの店名を「メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー」とした。

フランスのアール・ヌーヴォーの最も見事な総体が構成されたのはナンシーである。1871年のアルザスとモゼルの併合の後、ドイツの支配の下に留まることを望まなかった多数の併合ロレーヌ地方の住民は仏領ロレーヌに移住した。ここでアール・ヌーヴォーは地方主義要求の表明手段となり、エミール・ガレ、ドーム兄弟、ジャック・グリュベールらがナンシー派を形成した。

1900年のパリ万国博覧会でビングは現代的な家具、タペストリー、芸術的オブジェなどを色とデザインの両面でコーディネートしたインスタレーション展示を行った。これらの完全な形で再現された装飾的なディスプレイはこの様式と非常に強く結び付いていたので、結果としてビングの店の名前「アール・ヌーヴォー」が様式全体を指すようになった。